2009年03月04日

こんばんは

私の実家は京都です。といっても生まれは京都でも父の仕事の関係で
姫路で育ちました。

父は新日鉄広畑で勤務をして、家族は夢前の社宅での住まいでした。父が昇格することで社宅の部屋数が増えました。

学歴のない父でしたが、独学で、数々の改善を行い、また環境改善をした時は科学技術長官賞を個人名でいただきました。

この事を知ったのは私が今の会社に入り改善活動を始めてからです。
あんなりっぱな賞状がでかでかと飾られていても誰ひとり「何?」とも聞かなかったと言っていました。

同じような仕事をするようになり、すごさを感じました。
新日鉄の7本煙突から煤煙が社宅全体に降り注がれて、洗濯物など
煤煙でピカピカしていた時代です。もう40年前のお話です。

その煤煙を止める装置を父が開発したそうです。

現在84歳になる父は絵画を教えています。

母が亡くなり、寂しいけれど多くの生徒さん(おば様方)に囲まれて余生を過ごしています。

京都まで2時間あまりで行けるのに、今年はまだ顔を見せていません。
「携帯電話を首から下げている」といつも言います。電話をすると30分ぐらい直ぐに経ってしまいます。そして最後に言うことは「周りに喜んでもらうことで自分も喜びが来るんやで」と。

私は、父母達が京都に帰ってからは、寂しくなった時は、いつも7本煙突を見に車を走らせたことがよくありました。

今日は父を思い出したのはなぜなんでしょうか。

「明日電話をかけてこいよ」という父の声が聞こえたからでしょうか。


  


Posted by kumikochan  at 21:29Comments(4)